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期生 1991年卒業

取締役会長

田中松太郎さん

1991年国際情報高校を卒業後、コンピューター総合学園HAL大阪へ進学。卒業後、地元の営業職にて勤務、勤務時代にプライベートで滋賀のよさこいまつり「ござれGO-SHU!」の立ち上げに参加。のちにNPO法人化し理事長に就任。33歳に株式会社あきない応援団を設立し、公益社団法人水口青年会議所の理事長、地元消防団の班長、小中高校のPTA役員、びわ湖放送の番組ディレクターなどを経験。2015年に滋賀県議会議員に当選。

フローチャートを学んだことが人生にすごく生きています。でも当時すごい嫌いな授業でした笑

フローチャートを学んだことが人生にすごく生きています。でも当時すごい嫌いな授業でした笑

もともと高校進学の時に選んで選択肢は国際情報高校ではありませんでした。

県立の工業高校の電気科があるところ。でもいざ高校選びをするときに「これからはコンピューターの時代がやってくる。」となぜか思うようになって、数学や記憶も苦手だったけれどコンピューターが全部覚えてくれるやん!ということで、情報技術科がある国情にいきました。

国情時代の思い出としては、当時先生が「毎日学校いったら卒業できます。」の言葉から「何が何でも学校を休まずにいってやろう!」と決意したこと。おかげで成績は悪かったけど皆勤賞でした。またバンドブームだった時期もあり、吹奏楽部に入りながら楽器も5つぐらい掛け持ちして、バンドばっかりしていた高校時代でした。

今思い返すと成績も悪かったし、先生にも怒られたけど、高校時代はすごい楽しかったです。特に情報技術の情報系の授業はとても興味がありました。
その当時学んだフローチャートの作り方、考え方は人生の中でとても役に立っています。

ただ実を言うとレポートがすごい苦手で、嫌いな授業ではありました笑。

人生を変えたよさこい。まちづくりに関わり一サラリーマンから社長へと。

人生を変えたよさこい。まちづくりに関わり一サラリーマンから社長へと。

高校卒業後は情報系の学校へと進み、その後はサラリーマンとして営業職で就職。

僕の転機になっていたのは音楽もしていた流れから、よさこいが高知県から北海道へと大学生がイベント化して、ブームになりそれを滋賀県で始めたことです。

1999年にござれGO-SHU!の立ち上げに参画し、そこからNPO法人を立ち上げ、マスコミやテレビなどに出て、会社員をしていたけれどもそれにのめり込んでしまい会社を辞めました。

そこからあきない応援団を立ち上げて、デザインの仕事をしたり、まちづくりのことを仕事したりしていました。

高校時代に音楽をして、そこからよさこい、更にはコンピューター系の会社を立ち上げ、今思うと国情に進学したからこそこの経歴になったのかもしれないです。

38歳で政治家の世界へ、3年後後悔するなら今やるべきと決めたあの決断。

27歳によさこい、33歳に起業。そして38歳に政治の世界へと飛び込みました。

政治家になろう!と思ってなったわけではなく、このまちが好きだし一市民では難しいことも政治家としてよりまちを良くすることも出来ると思ったこともあって立候補しました。

残念ながら2011年には落選してしまいますが、2015年に初当選し政治家の道に進みます。

僕自身振り返りながら、色々なことに挑戦してきてターニングポイントで悩むことはいっぱいあるけど、その時にやりたい!という選択肢をとって本当に良かったと思います。

大切なことは、決断すること。そして「時間は有限である」ということをしっかり決めて、今なにをしないといけないかを考えて実行することです。

迷ったときはやったらいいし、後悔することももしかしたら出てくるかもしれないけれどチャレンジすることは本当に良いことだと思うので、今の国情生にはぜひどんどんチャレンジして欲しいと思います。

株式会社あきない応援団


滋賀県甲賀市水口町北脇436番地1
https://www.akinai-cp.net/

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